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【ほうせい丸物語】二代目店主・浅野政和


当店は、新潟市街から車で約30分。新新バイパス・東港ICを降りてすぐのロードサイドにあります。四方八方見渡しても住宅街やオフィス街も見当たらない、好適地とはとても言えない場所で、大手が新たに店を出すには躊躇しそうな所です。

第一創業 1982年「お食事処ほうせい」

創業は父親が昭和57年(1982年)に「お食事処ほうせい」として開業しました。「ほうせい」の由来は、店舗が聖籠町に、駐車場が旧豊栄市にあったことから創業者の父親が命名。

創業者の父親は、となりの「新潟東港魚市場」に多くのお客が来るのを見過ごしたくないことから、改装して「立ち食いそばコーナー」を始めたり、豊栄パーキングエリアができるまでやっていた、朝7時からの「朝定食営業」や、長距離ドライバーが多く来店するようになると「無料お風呂」まで作って集客に励んだものでした。

またバブルの時代は、新潟東港に多くの企業が進出しましたので、事業所用の宅配弁当業(ぴあらいぶ・ほうせい)を開業しました。とにかく、父は猪突猛進する行動派タイプでした。

▼店もない、バイパスもない頃

▼花輪が15本以上もあがっていました。

 

第二創業 1994年「居食亭ほうせい丸」

時代の流れと共に様々な変革を実行

創業当初は新新バイパスが東港インターまでしか開通しておらず、途切れることのないお客様の流れでしたが、新発田インターまで開通したことにより、店の前の交通量は4分の1に・・そんな中で平成6年(1994年)、父親から事業継承をしました。立地条件の悪さ、交通量も激減、ましてや飛び込みなんて見込めない・・・外部から見たらそんな心配をしそうですが、私は他人やモノや環境のせいにしたりせず、自分の責任と考え、逆に「ピンチはチャンス!」というプラスの考えを持って、様々なアイディアで乗り越え今に至っています。

事業継承時、交通量激減、来客数激減の際に行った手法は、「こないなら、こちらから出向く」と考え、客数減なら客単価アップを目指して宴会に力を入れ、当時居酒屋クラスではやっていなかった「宴会送迎無料サービス」を始めました。また「まぐろカブト焼き」などの「宴会無料特典サービス」なども行い、それらが好評を得た事により翌年以降、宴会場の増築を重ねました。

1995年(平成7年)漁火の間増築、1998年(平成10年)豊漁の間増築、そして最後に、事務所として活用していた2Fを2004年(平成16年)に潮騒の間として現在の宴会場ラインナップが完成しました。

 

地域に密着したイベントを多数開催

▼チャリティービアガーデン▼
私が独立してから5年目。「5年もやれた!それはお客様があってのもの!」と感謝の念が溢れて何か還元することはできないものか? と考えた末に出た結論が、「チャリティービアガーデン」いう名の「夏祭り」でした。

店の駐車場を会場にして、両サイドにステージを作り、地元のアマチュアの方に音楽演奏(ロック・フォーク・ジャズ・民謡・木遣り等)や踊り(よさこい・ヒップホップ等)など様々なジャンルを披露してもらい、料理は当店スタッフが提供するスタイルでした。とにかく、子供から大人まで楽しめるイベントにしたかったわけです。

※チャリティーですので、売上金の一部を聖籠町社会福祉協議会と新潟市北区の社会福祉協議会に寄付をしていました。

▼写真は、当時毎年トリを務めていた人気バンド「鯱戈(しゃちほこ)」は、あの尾崎豊さんも幼少期に学んでいた「躰道(たいどう)」という武道で世界一になった事があるメンバーで結成されたバンドでした。

▼「鯱戈(しゃちほこ)」の
アンコールはみんな楽しそう!

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私は元々、大家族に育ち、政(まつりごと)が大好きで、(「名は体をあらわす」とはよく言ったものですね(笑))とにかく人が大勢集まることが好きでした。そんなことから始めたイベント、1999年(平成11年)から2011年まで12年間に渡り開催しました。(2009年のみ雨天中止~開催時間に晴れるというハプニングもありました)

当時、男子高校生アルバイトがこのライブステージを見て「俺たちもバンドを作って、このステージに立とうぜ‼」と勢いでやり始め、店の離れに練習場所を提供して一年後には上達した腕前を見せるはずだったがが、メンバーが仕事の関係でこのステージに立つ事ができませんでした。写真だけ掲載しておきます(笑) ※右から3人までが高校時代にバイトとして働いてもらってました。

2011年で「夏祭り」をやめました。理由は、飲酒運転の罰則強化による生ビールの売上げ減少や来場者の減少、アルバイトスタッフの減少、レジュラースタッフの高齢化などタイミング的に、ここが止め時かなと考えこのイベントにピリオドを打ちました。

最後となったイベントは、この年、東日本大震災により福島県民が新潟に避難していた時でしたので、タイトルを「がんばっぺ福島元気集会2011」に変更して開催しました。

最後のイベント動画はこちらからご覧ください。
https://youtu.be/MBQzLiuar_w

 

この夏、ひまわりを咲かそう‼キャンペーン

ほうせい丸の駐車場に「ひまわり」を春先に、子供たちとその親ごさんから植えてもらうイベントでした。ほうせい丸に来るたびに、自分が植えた「ひまわり」の成長する姿を見て子供たちは、大変喜んでいました。写真は今から17年以上も前になりますので、子供たちはみんな立派な社会人へと成長しました。
▼こんな感じで親子で「ひまわり」を植えていました。

▼植えた場所には、それぞれの名札を立てました。

夏の恒例イベント・地引き網の会

地引き網の会は、2003年から続けている「海の日」に開催する夏の恒例イベントになります。(最近、3年ほど新潟東港に大型クルーズ船や南極観測船などが同じ日に来港されていましたので開催を中止しています。)

会場は毎年、新潟市北区島見浜海水浴場にある「すずごん」さんにお世話になっています。網を引くこと約30分~40分、「取れている?取れていない?」とハラハラドキドキしている子供たちの表情が印象に残ります。まれに、超大漁になった時は参加者全員は大喜び! 

地引き網の後は、浜茶屋に上がり、店が用意した「おにぎり」などで朝食を取り、最後にリクレーションとして「どじょうすくい」に「すいか割り」などで楽しんでいます。「どじょうすくい」は、とても珍しく子供たちにはとても印象に残るゲーム?のようです。

10年後の思い出作り~タイムカプセル埋設イベント

2001年(平成13年)は21世紀がスタートした年でした。イベント(お祭り)好きな私が企画したのがこちらでした。『10年後の自分、10年後までの自分を考えてみませんか?』と問いかけ募集内容が●10年後の自分へのメッセージや夢を書いた物●今年お子様が生まれた方は両親から赤ちゃんへの手紙・写真等●ラブラブのお二人は、ラブレター・写真等 ■10年後の2021年にタイムカプセルを掘り起こします。■掘り起こした物は郵便で送付致します。という内容でした。2001年~2011年~そして来年2021年が開封の年になります。

 

▼タイムカプセルを掘り起こす創業者の父親。

▼掘り起こされたタイムカプセルには手紙がいっぱい!

▼2011年・10年前に小学校6年生だった生徒と先生で同窓会を開催。

▼タイムカプセルと一緒に2001年に植樹した桜の苗木(※2年後の2003年に撮影)

▼10年後の2011年には立派に成長しました。

壁画プロジェクト2004


新新バイパスから見える、ほうせい丸の壁画は、居食亭ほうせい丸開店10周年を記念して企画されました。

壁画のデザインを新潟デザイン専門学校が担当。生徒からのデザインコンペで選出された作品2点を
アレンジしてデザインを決定。そして、一般の参加者が壁画の塗装を担当したプロジェクトでした。

8月上旬に塗装を開始。塗装に参加したのは、男子高校生2名、男子中学生4名、女子中学生4名、社会人2名の合計10名でした。塗装期間は思っていたより短期間の4日間で終了。しかし、猛暑真っ最中の時季でしたので、夕方からの作業でも、汗がダクダク出て作業的には大変でした。

地元出身プロスポーツ選手を猛烈応援‼

 

【加藤 健(読売巨人軍コーチ)】
聖籠町出身の「加藤 健」さんがドラフト指名された高校3年の時から当店に来ていただき、入団後も、毎年末に「読売ジャイアンツ新潟ファンクラブのつどい」を開催し、プライベートで参加して頂いていました。良い成績が残せなかっため、聖籠町の公式後援会ができませんでしたが、当店が毎年、毎年応援し続ける事に対して加藤さんがとても喜ばれていた事が印象的でした。

また新潟で試合がある時は、応援ツアーを組み、柏崎、三条、長岡、新潟などへファンと一緒にマイクロバスを仕立て横断幕を掲げて応援に出かけていました。

入団から退団まで18年間ずっと応援し続け、アルビレックス・ベースボールクラブ在籍時に書籍を出版した際も、当店で「出版記念パーティー」の開催や、昨年末、ジャイアンツに復帰する事になった際も「ジャイアンツ復活を祝う会」も開催しました。

【豊山関(大相撲力士)時津風部屋】
加藤健さんがジャイアンツ引退後、私の前に現れたのが豊山関でした。出身が新潟市北区。当店は、聖籠町と新潟市北区のハーフ&ハーフですので⁉、次なる応援は「豊山関だ!」と決め、勝手に「豊山定食」なるネーミングでメニューをスタートさせました(笑) ある日、その豊山関が、ひょっこり当店に来店!写真はその時のもので、スタッフとの集合写真になります。この日、オーダーしたメニューがなんと「豊山定食」!笑 実は、豊山関は「海鮮チャレンジ丼」に挑戦するのが目的。残念ながら当日注文は出来ませんので、後日、付き人の力士と二人で挑戦しました。結果は内緒です⁉

「頑張れ‼豊山関応援キャンペーン」は、現役が続く限りやって行きますので、皆様もぜひ豊山関の応援をよろしくお願いいたします。

飲食運転に対する罰則強化

開業から9年目の2002年には、飲酒運転に対する罰則強化が施行された際も非常に客数の減少が起きました。その時は、週に一回の定休日(月曜日)を無くして無休体制を実施。たまに、今でも月曜定休だと思っていたお客様がいてビックリ!

その時にやったのが下のサービスでした。矢沢永吉さんが在籍していたキャロルのナンバー「ヘイ・タクシー」をパクリ「へい、タケシー!」なるサービスを実施(笑)

弟の調理長の名前が「たけし」で、当時乗っていたワゴン車をモデルにして、友人で似顔絵師のやまだみつるさんからイラストを描いていただきました。すっごいふざけてたでしょう(笑)※ちなみに、弟と「やまだみつる」さんは豊栄高校の同級生でした。

他にも、もうひとつ「代行代をサービス」する企画なんかもやったのですが、データを探すのが大変なので省略します。※これらのサービスは今現在やっておりませんので、あしからず。

「こないなら、こちらから出向く」と仕出し屋を開業

▼2002年に、飲酒運転に対する罰則強化が施行された際、売上減少をカバーするために、「こないなら、こちらから出向く」発想の第二弾として仕出し部門「仕出し屋ほうせい丸」を強化して売上げの補足に努めました。
●仕出しメニューはこちら⇒http://hoseimaru.co

アルコールから食事にシフト変更

また、2014年(平成26年)4月から消費税が8%に増税された以降、節約志向が蔓延したことや、若い世代のアルコール離れ等の影響で、稼ぎ頭である宴会の利用数が年々減少しています。

▼次々とメニュー開発を実行する▼
来店客数を増加させるには、どうすればよいか? 減少していることを追うより、考え方、やり方を変える発想をしました。宴会客から食事客へのシフト変更。それは今までやらなかった事を実行しました。それは、コンセプトが「海鮮」なので①「海鮮」デカ盛り大食いメニューの商品開発 ②「海鮮」に特化したラーメンの商品開発。③海鮮プラス肉料理の商品開発。などでした。

合わせてこれは運命的なのか?どうなのか解りませんが、2015年に「海鮮チャレンジ丼」はやり始めた時に、14年間飲み続けていたアサヒ緑健の『緑効青汁』からオファーがありそれ以来、5年以上もCM番組が放映されています。(現在も)

●過去に紹介された動画集はこちら⇒http://hoseimaru.com-m.jp/douga

マスコミから取材が殺到

▼マスコミから取材が殺到▼
そんな商品開発を実行した結果、テレビ局からの取材が殺到しました。2015年(平成27年)が全国放送1件、新潟ローカル2件。2016年(平成28年)は、全国放送1件、新潟ローカル1件。さらに2017年は、新潟ローカル4件の取材を受けることができました。それに伴い、2016年度の食事客数は、創業以来最高の来店客数を記録することが出来ました。

楽しく変化すること~自分が楽しいと思うこと

▼楽しく変化すること▼
今までと同じような考え方、今までと同じような選択、今までと同じような行動をしていたら、このような結果を残すことはできなかったことでしょう。今日の社会の「変化」は驚くほど速く、その目まぐるしいスピードは、私たちの想像を遥かに超えています。要は、経営者の考え方、経営のスタンスによって、企業はいかようにも変わっていく。そして、まずは自分が楽しいと思うこと。それが重要だと考えます。そして「行動」です。

喜び創造カンパニーを目指して

当社(ホウセイマル株式会社)の経営理念は「喜び創造カンパニー」と題しまして、『①私たちは、飲食を通してお客様に喜んでいただき、お客様の喜びを自分の喜びとします。②私たちは、一人ひとりが仕事を通して、喜びとやりがいを求め続けます。③私たちは、地域社会に喜びを与えて、人々の幸せに貢献します。』という「喜び」をテーマにして取り組んでいます。

今後も、「喜び」を追求して、時代の流れを読み取り「変化」し「進化」して、新たなる事に挑戦し成功して行きたいと思います。そして今まで通り『地域密着型土着民族経営』をやり続けます!

ほうせい丸二代目店主・浅野政和 2020年5月記

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